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A プリマドンナのため息 -キモノは羨望の的-
実は私の実家は呉服屋で、小さい頃から何かある毎に着物を着ていたので他の人より着物に馴染んできたつもりだが、30歳を過ぎた頃から自分の意思で着物を着こなしたいと思う様になった。
それで日本から少しずつ着物を移動させたのだが、こちらは空気が乾燥しているので着物の保存に適しているし、日本より平均気温が低いので着物が着れる時期が長い。はじめはオペラやパーティ等華やかな場所へ着ていったのだが、最近は欲が出てきて、もっと気軽な集まりや外出にも積極的に着ている。ヨーロッパ人は派手な色や柄が好きなのだが、ファッションの国のフランス人は目が肥えている人が多く、紬や藍染等のどちらかというと地味な着物にもとても興味を示す。
ある日、友人の娘さんのバレエの発表会にお誘いを受け、着物が見たい、という娘さんのために
着物姿で参上した。若草色の地にやじろべえの柄の単衣の小紋に白地に夏草模様の名古屋帯をしめた。発表会と云ってもパリ市立芸術院(コンセルバトワール)主催の中々レベルの高いものだったのだが、その芸術院でバレエの指導に当たられているのが元オペラ座のエトワール(プリマドンナ/主役バレリーナ)だったカトリーヌさんだ。公演終了後私は友人からカトリーヌさんに紹介された。
フランス国内だけでなく、世界各国の舞台で主役を勤めてきたカトリーヌさんはきりりとした美しさを持つ女性。厳しい世界で生きて来た人のみが持つ気品と威厳が側にいるだけで伝わってくる。そんな彼女の目が私の着物に釘付けになった。「このキモノの色はフランスの技術では出せないわねえ」「オートクチュールと云うより芸術品ね」とひとしきりコメントした後、「今の日本の女性は殆どキモノを着ない、って聞いたけど本当ですか?」と真剣に質問された。残念ながら、と答えると、「信じられないわ。こんな素晴らしいものがある事に日本人はどうして気付かないの!」と本当に残念そうにおっしゃった。「フランスには民族衣装がないのよ。革命後に消えてしまったわ。私はとても残念な事だと思っています。国の文化を象徴していて、ため息が出る位美しくて、女性をこんなに美しく見せる衣装がある貴女たち日本女性が羨ましいわ」、いつまでもいつまでも彼女は私の着物にうっとり見入っておられた。
一流の芸術家である彼女に褒められて嬉しかったのは勿論だが、彼女の言った、「こんな素晴らしいものにどうして気付かないの!」「羨ましい!」という言葉が忘れられない。
私の世代の日本人は「国際化」という言葉に踊らされて青春時代を過ごしたが、私の父は「世界が国際化すればするほど、その国独特のものが尊ばれる様になる」といつも言っていた。今その言葉をしみじみと実感している私である。
日本という国が生み出してきた無数の芸術品の中で、着物は最も身近でそして最も自分を演出出来るもの、と思うのは私だけであろうか。着物は確かに洋服に比べてとっつき難い面が多いが、一度慣れてしまえばこっちのものである。最近では気楽に着れて手入れも楽な着物も数多い。
そして、洋服と違ってどこへ着て行っても恥ずかしくない。私もパリでパーティ等で様々なオートクチュールを着た婦人を見たが、着物の醸し出す豪華さと気品はドレスの比ではない。そして着物を着ている事が色々な人たちとの出会いをもたらしてくれる。着物の生み出すマジックは着付けや手入れの面倒さを補って余りあるものだと思う。
私としては、少しでも多くの方に日本では勿論、外国でもどんどん着物を着ていただきたい。
孤独になりがちな海外生活の中で着物の生み出すマジックは偉大である。私が体験してきた、パリの人々の着物への羨望のまなざし、カトリーヌさんのため息はとても文章では表せない。ぜひご自身で体験していただきたいのだ。明日にでも家に何か着物はないか、探されてみては如何だろうか。